第1回 伊東篤宏インタビュー|山口小夜子×高木由利子「蒙古斑革命」

第1章 パンク、ニューウェイブ、そして日本画

(インタビュー実施:2005年)
山口
蛍光灯から音が出ることに気づいたのは、そもそも何がきっかけだったのですか。
伊東
中学の時は、よく深夜放送なんかを聴いていたんですけど、自分の部屋に蛍光灯があって、ラジオを聴いている時にその明りを消すと、ラジオが反応してプチっとなるんですよ。蛍光灯に反応して音が出るというのが面白くて、部屋の明りをつけたり消したりしてラジオに反応させて遊んでましたね。蛍光灯の発光にともなう放電ノイズがラジオの電波にのって鳴る音ですけどね、蛍光灯そのものの音というよりは。
山口
深夜ラジオというとオールナイトニッポン?
伊東
オールナイトニッポンも聴いてましたけど、音楽的な影響は渋谷陽一のサウンドストリートですかね。パンク、ニューウェイブ好きの嫌な中学生~高校生でしたね。その時期は初期のニューウェイヴ系バンドなどが色々出てきた時期とリンクしていたので現役感覚でその辺を聴くことができた。まあ絵を描くのも好きでしたね。だから大学は美大に行ったんですけど。美術より音楽のほうに親しみがありましたね。でも結局、音を出すことも絵を描くことも自分の中ではあまり区分がないかもしれない。
山口
じゃあパンクを聴きながら電気を点けたり消したり。
伊東
音として聴こえるものと目に見える光の明滅が反応しあってることは理解できてました。もちろん、その頃は自分が今やってるようなこと、まあ言うならば「表現」と繋がるなんてまったく考えもしませんでした。ただ単純に面白がっていたわけです。
山口
美大では日本画を専攻されてますが。
伊東
絵画だったら何でもよかったんですが、美大用の予備校に通う段階で受験する際の選択肢として「日本画」ってよくよく考えたら不思議な言葉だなあって思って。そう思いません? アメリカ画やフランス画って言葉ないし、国の名前の付いた絵か~、って。なんで「日本画」なのか、日本古来の伝統云々って知らないし、面白いかもしれない、と思って選択してみたんです。結果として技法的なことやそれで絵を描くのは面白かったんですが、既存の公募団体で見られるような“典型的な日本画”には興味がもてなかったし、やはり何故「日本画」って呼ばれるのかも歴史を調べれば解ってくる。なので途中からは好き放題やってました(笑)。もちろん、日本画科にいたわけだから厳密に美術のフォーマットでやろうと思っていたんですが、でもどうも向いてないんですよ。飽きちゃうんですよね。
山口
大学で音楽は?
伊東
バンドもちょっとやったりしてましたよ。少しピアノが弾けたのと、中、高とブラスバンド部だったりしたし。バンドではキーボードやってました。でも性格が災いしてか(笑)、4~5人メンバーがいると人間関係が煩わしくなってきちゃってダメなんですよね。音楽の楽しみより煩わしさのほうが辛くなっちゃって。なので個人の絵画作品の制作にほぼ没頭してましたね、大学時代は。プレイヤーではなくリスナーとしては、昔と変わらず、ずっとレコードを買い漁ってた。なのでその時々の流行りも分かっていたし、相変わらずちょっとひねくれたようなものを好んで聴いてはいましたが、それまでよりも音楽とは距離を置いていたと思う。
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