第1回 伊東篤宏インタビュー|山口小夜子×高木由利子「蒙古斑革命」

今、対談を振り返って

久しぶりに小夜子さんとの対話を読み返してまず感じたことは、自分が言ってる事、その時に感じていたであろう思いは、今現在の自分が感じている事や置かれている状況と大して変わっていないという事でありました。

この事は、自分の進歩の無さに苦笑せざるを得ないのと同時に、状況的な観点(「美術」や「音楽」の話に限らず)から見出せる事にはある種の困惑を感じざるを得ません。だって、テクノロジーの進歩は人の暮らしをより良く快適にする為にある筈なのに、当時と今を比べると様々な技術的な向上の割に変わらない事が多過ぎる。それどころか、10年前より悪くなっていると感じる事が多々あるのはどういう事か?言うまでもなく、結局これはテクノロジーそのものの問題ではなく、それを作り出し、使う『「人の英知」の問題 』です。そして美術や音楽はそれを感じ、考え、表出する場でもある筈です。自戒の念を込めて、改めて足元を見直す必要を感じました。

小夜子さんとの対話の中でも述べていますが、私は殊更に日本人である事や「日本的」である事を強調したいとは今も昔も思いませんし、そういったスタンダードを意識的に考える事の危険性を、より強く感じる今日この頃です。

ヨーロッパ諸国やアメリカ大陸に行けば自ずと、自分がアジアと呼ばれる地域の島国の人間である事は嫌という程感じますし、解ります。 自身が当時よりも更に色々な国や地域を巡って感じている事に「リアルな世界は今も昔も多種多様」であり、「世界は広い」という至極 当たり前の事実があります。(お二人が最初から言ってらした事でもあります。)

小夜子さんと由利子さんの対談中にもお二人が述べていらっしゃる通り、
「自分の頭で考えられる範囲で右往左往して、生きる理由や目的を求めてしまうから、動けなくなってしまう。」
「自信や誇りを履き違えてしまっていて、本来の生きるというあり方を見失っているのではないでしょうか。」
これは正に今現在の日本の在り様を(残念ながら見事に)語っている言葉だと私は思います。

『 "リアル" な世界 』= 「自分の頭の外 」だし、それは一度たりとも同じではなく、常に変化しているが故に「己れ」などが如何に小さく、物心を知らない存在であるかという事を、いつでも突き付けて来るし、もしそう感じたらつまらない虚勢や慢心などにかまける余裕などない。

2017年の終わりも近いこの時期に、蒙古斑革命が復活するのは、大変意義深いものがあると私は思います。
再びより多くの人にこのシリーズが読み継がれていく事を望みます。

2017年10月
OPTRONプレーヤー/美術家
伊東 篤宏