第3章 アメリカでの出会い

山口
9.11のあとにNYにも行かれましたよね。
JUNE
9.11の事件が起きたあとに、広島や長崎に行って灯しました。そこで出会うおばあちゃんが「私たちと同じ悲しみの家族が増えてしまった。もしあなたがこうして私たちのために灯してくれたように、NYにも行って灯してきておくれ」と、小さく折った千円札を握手する手に忍ばせてくれました。アメリカが落とした原爆で悲惨な思いをされてるそうした方たちに頼まれ。その想いを灯しに行きたいと思いました。
ただ、広島や長崎で灯したロウソクをいきなりNYに持って行って誤解を招いても嫌だったのでいろんなアメリカを知りながら、いろんな人たちと出会って、いろんな場所に灯しながら行こう、とロスからキャンプをしながらNYへ向かいました。
山口
ネイティヴ・アメリカンの方との素晴らしい出会いがあったとお聞きしましたが。
JUNE
アメリカの旅は、出会うべくして出会ったというような、信じられないくらいの偶然や必然がつらなったゲームのような感じでした。ネイティヴ・アメリカンの言うところの、大きな空と大地を父と母に喩えたり、地球を一つの生命と捉えたりする考え方を、自分も自然に受け入れられるようになりました。とあるネイティヴ・アメリカンの村を離れるとき、おばあさんにロウソクをあげたら、イーグルの羽を頭に刺してくれたんです。「これであなたは目的地まで簡単に行くことができますよ」と。それからほんとに、ワシントンまで無事に行くことができました。
山口
で、マンハッタンに無事入ることは出来たのですか。
JUNE
ところがマンハッタンに入ると、それまでスムースだった旅がうまくいかなくなってきたんです。マンハッタンのパワーが強すぎるというか、変なエネルギーが渦巻いている、という感じで負けてしまった感じです。実際グラウンド・ゼロの地点に一度はすんなり入れたのですが、灯すことはできませんでした。最初はその場にいる警官がOKを出してくれたんですが、その上司がどこかで見ていたらしく、すぐに出ろ!と。そこからは一切話を聞いてくれなくて。
そこでいったんNYの郊外にある「日本山妙法寺」というお寺に縁あって訪ねたんです。ピースウォークという歩くことで平和を伝える活動をしている方のお寺なんですが、そこで一日お世話になりました。薪割りを手伝ったり、掃除をさせてもらったり、自然の中にあるお寺で大切なものを取り戻した感覚です。
そしてNY滞在期間もあと一日しかない!という最後の日の朝。
お寺の代表をされているジュンさんという日本人の女性から「あなたにはこれが必要だろうから」と、蛇の木型のお守りをいただいたんです。それはジュンさんの友人のシャーマンの方がくれたもので、大地との繋がりの鍵となるお守りだと言うことでした。
それを持ってもう一度、マンハッタンに入りました。
2002年の独立記念日の前日でした。
今度は友人が正式に許可をとって待っていてくれて、無事に次の日の朝まで灯すことができました。それ以降も毎年9月11日にはどこかで灯す事にしていて、去年はキャンプ・イベントをしました。
今年もする予定です。
山口
最近(※インタビュー実施は2005年)はどこで灯されました?
JUNE
新潟です。新潟市にロウソクを置いてもらっている店があるんですが、昨年の新潟中越地震のすぐ後に、背の低いロウソクをかき集めて、必要な場所があったら渡してきて欲しいと送ったんです。
でも地震直後の混乱の中だと的確な場所に持って行くのは難しそうだったので、じゃあ自分で直接行こう、と。2月に東京で画家のアキコさんと個展を開いたんですが、アキコさんは北海道生まれなので、一緒に北海道を回って新潟へ入る話がまとまり、友人が預けてくれた寄付金や花の種などいろんなものを持って行きました。初日は新潟市のライブ・ハウスでイベントを開き、翌日、震源地に近い川口町でセレモニーのようなことをさせてもらいました。
山口
炎(光り)を消す一瞬はどういう感じなんですか?
JUNE
あまり決まり事はなくて、「お疲れ様」というように1本1本なでるように火を消したり、そのときどきですね。印象に残っているのが、「ワールド・ピース&プレイヤー・デイ」という昨年6月に朝霧高原で開かれたイベントの夜に、残ったスタッフで火を灯して過ごしたときのことです。
時間がきてそろそろ終わりにしょうかという時に、その時の実行委員長だった女性が『ハッピーバースデー』を歌い始めたんです。で、歌い終わったときに、みんなが一斉にフーッとロウソクを吹き消したのが、すごく気持ちよかったです。誰かの誕生日、というわけじゃないんですが、なんか、みんなが生まれ変わるというか、新たに始まるんだ、というような終わり方ができて、よかったです。
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