第三章 灰野式DJ方法

山口
DJもされますね。
灰野
1年に2,3回ですけど。そのときはCDプレイヤーも、ぼくはぜんぶ楽器として使います。バスドラ、ベース、スネア、ギターとして。
山口
それはCDの音源をベースに使って、たとえばCDのボーカルやリズムを使って、1曲つくるというようなことですか。
灰野
いや、そうではなく。たとえば、ビリーホリデーを、ぼくは4枚かけるとします。メインボーカルには、ゆっくりの曲に歌ってもらいます。早いテンポでやってる曲があったら、それをハイハットとして使います。それは、ドラムセットとしてぼくがCDプレイヤーを使う場合です。
山口
CDJも使われたりするんですか。
灰野
あ、ぼくはCDJは使わない。ふつうのCDプレイヤーを使うんです。ほとんどのDJの方は、みんな回転を変えたり上げたりして、ピッチを合わせようとしますよね。
山口
はい。
灰野
違う音楽をかけているけれど、同じテンポにして、同じ音程にして、一つの音楽に固めようとしている。ぼくにはそれは何か、正義はたった一つしかない、という硬直した考えに通じるものがあるように思うんです。みんなが戦争をやめろ、と言いながら、知らないうちにたった一つの正義に向かって、みんな右にならえしていることをほとんどの人がやっている。で、いちばん始めにDJをやったときは、世界四大宗教をいっぺんにかけました。さぁ、どっちの音のほうが大きいのって格闘させながら。大きい音というのはボリュームの問題なんで。じゃあ、信者の数が多ければいいの、という皮肉を込めて。
山口
4枚一度にですか。
灰野
たとえば、モロッコの音楽とイヌイットの音楽とを同時にかける。ビートは違うんですけれど、ほんの一瞬だけ、どこかでテンポをズラしてあげると、合っちゃうんですよ。音楽はぼくにとっては素材ですけれど、それを使ってなんで一つの音楽ができないが不思議でしょうがない。ぼくは目を瞑ってかけるCDを選びます。何も考えずに、ぱっと選ぶ。入れた瞬間、しまったと思ったら、しまったと思ったということをやったという意味でそれは事故で、絶対に消せないことですけど、自分が音楽が好きだと思っているのならば、その事故を何かに変えなければいけない責任があると思うんです。1コ音を出して、次に出した音を間違ったとします。これはミストーンです。でもそう言ってしまったとき、やれる音楽はすごく狭くなってしまうわけです。どうしてこの音を出しちゃいけないのか、どうしてこれがいけない音なのかと考えたら、音楽の好きな人なら、1つ目の音との関係が悪くて「間違い」とされる2つ目の音さえも、3つ目の音に行くときに、良くできるはずだと思う。音楽が好きならなんでそれをやらないの、と思うんです。
山口
アクシデントを表現にする、ということですね。
灰野
DJって、一般の人よりも音楽が好きな人であってほしいんですよ。DJってプレイヤーを2台使いますけど、ふつう家でレコードをかけて音楽を聴くときは1台のプレイヤーですよね。なぜ2台か、と考えたら、人よりも音楽が好きで、いっぺんに2台で聴きたくなったから、と思いたい。2台も3台も使うほど、音楽が好きなことを証明してほしい。これはぼくの理想ですけど。みんな、何があってもいいと言い、好きな格好をしているくせに、ほんとうに頭の中が固いから。1つの音に、どっちのほうにも向かってほしくない、というのがすごくあるように感じられてしまう。あと。今、いろいろな人が、挨拶として「私/ぼく、なんでも聴きます」「なんでも見ます」って言ってるけど、なんか「なんでも好き」「なんでも聴きます」というジャンルを作っているように思えるんです。一個一個を深く掘り下げない。ステイタスとして、このくらいのものは今は知ってなくちゃいけない、という教科書がある。ほんとうはそれがいちばん恐い。自分は何も知らないんだ、と思っている人は広がる余地はあるけれど、私は知ってます、なんでも聴きます、と言っている人の場合、それって、ほんとうに何でも聴く用意はできてるの? と訊きたい。
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