第4章
作る側の論理と着る側の論理

山口
私は着て出る側でもあるから、衣装には軽さや動きやすさも求めたりします。たとえばオペラ歌手は歌うときに横隔膜をあげるから、5cmくらいサイズが変わってくる。喉も、急に太くなる。だから衣裳はそのことを含めたサイズにしてあげたい。ダンサーだったら、その踊りによって、どう効果的に動きが見えるかを考えたり。そういうことは考えますか?
田中
考えますね。動きの問題というのは、どんな舞台でもつきまとってくることなので。
山口
ファッション・デザイナーの人が舞台衣装をやる場合、すごく成功する場合と、うまくいかない場合があるんですよ。着せる側の論理で、形優先になっていくから、その舞台においての動きやすさを無視することがある。動きやすいように、その演技がよりよく見えるように、という舞台のことを知らないと、どんなに優秀なデザイナーでも、その舞台によっては生かせないことがあるし。逆にそれを無視することによって、通常の舞台にはありえないフォルムが出てきて面白かったりもするから一概には言えないんだけど、難しいものだなぁと思います。
田中
特にダンスの場合は、動きの問題が強く出てきますね。身体の表現であるから、あまり隠すと美しく見えない、ということが必ずぶち当たる壁です。身体の線をいかに見せるかとの戦いになってきます。でも、それだけだと面白くない。かといってあまりデフォルメすると、服のフォルムが強すぎて、身体の線が見えなくなってしまう。身体の動きと布の動き、身体と布の間に入っている空気の動きというのを考えて、作らなければいけないから、その辺はとても難しいですね。
山口
着る側もちょっとだけ学んで欲しいな、と思うこともあるんです。たとえば裾を引きずる長いスカートがあったとして、作る側は前をちょっとつまめば引きずらないように作っていて、なおかつ、踏まないような歩き方もあるんだけど、それを踏んでしまう。演技で、ちょっとスカートをつまんでエレガントに見せる、ということは、ファッションの仕事をしている私たちにはふつうのことですが、意外にそういうことをできない人が多いんですよね。
田中
ぼくも、思った以上に役者の方が服を着こなせないことに、びっくりしました。もちろん着こなすことができる役者の方も居ますけど。たとえばダラっとした服でもたくしあげればキレイなラインが出る、というのは僕達にはわかっているけれど、役者の方たちにはできないというか。ある形が美しいとなったら「その形を固定できる方法を見つけて」と指示がくるほうが多いんですよ。
山口
服の着こなしや立ち振る舞いも演技の一部であるのに、それを役者の人たちが意に介さないのは、少し変だと思うんです。たとえば平安時代の役をやったとしたら、平安時代にはそういう服を着ていたんだから、それを着こなせないと。黒澤明監督は、衣装ができるとふだんそれを着せて生活させる、と言っていますよね。そうすると、着物が馴染んで立ち振る舞いも自然になっていく。それも演技だから、という有名な話ですが。
田中
確かに衣装に馴染むまでの時間がない、というのは一つの要素としてあるかもしれません。実際、舞台の前半と後半では、衣装の着こなし方もだいぶ変わってきますから。着こなせるようになってくるし、その服自体が、役者の人の皮膚の一部になっていきますね。早着替えの世界なので、俳優さんも早く着替えられないと次に行けないから困る、とか、他にもいろいろ抱えていらっしゃいますから。役的なものからすれば わかるし。
山口
先日『リア王の悲劇』の舞台でご一緒しましたが、あのときは稽古のときから衣装をみんな着ましたよね。あのときはよかったですね。みんな工夫してくださったから、びっくりしたんです。
田中
リア王のときは、すごくいい役者さんが揃ってくれて。いろいろ重たいとか文句もあったろうけれど、それを見せずに、あそこまでやってくれたのは、ほんとうに感謝でしたね。
山口
そういう例もあるから、そうでないときにぶちあたると「これはどういうことなのだろう」と思ってしまうんです。着こなす、ということにもう少し気を使って欲しい、と。
田中
その辺を考えていただけると嬉しいですね、作ってる側としても。ぼくは服には遊びがあったほうが、より着た人が遊べる、と考えているんです。でも、そういうふうに作っても、役者の方に「これだと次への転換が難しい」から、もっとこういうふうにして、ああいうふうにして、と言われて、その通りにしてあげちゃうことがあるんですね。そうすると、がんじがらめの服になってしまう。紙でできた服を体にのせただけ、というような服になるというか。作り手からするとちょっと悲しいんですよ。
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田中洋介×山口小夜子