第1章
バイク&ロックンロール&ファッション

  • 山口

    津村さん、“暴走族”だったんだよね。

  • 津村

    や、軽く(笑)。

  • 山口

    (笑)。でも、オートバイには乗っていたんでしょう。

  • 津村

    オートバイというか、ぼくはカブでした。スーパーカブという、新聞配達や出前に使われている、いわゆる原チャリです。高校生のときに免許をとって、廃棄寸前だったバイクを5千円で買ったんです。

  • 山口

    じゃ、音楽なんかは、キャロルを聞いて。

  • 津村

    キャロル...でしょう!

  • 山口

    そのときはすでにファッションに興味を持っていたの?

  • 津村

    応援団やりながら『anan』を読んでいましたよ。というか、ファッションには小学生のときから興味があったから。『メンズクラブ』をランドセルに入れて持って行ってましたもの。

  • 山口

    早熟な子供だったんですね。

  • 津村

    お姉ちゃんのいるマセた友だちがいたんですよ。その子がお姉ちゃんの影響をやたら受けてて、服やブランドにやたらこだわっていたんですよね。その影響でだんだん、怪獣の名前覚えるよりも、服の名前を覚えるとか、ブランドや着方を覚える方向に行ってしまった。

  • 山口

    その頃の『メンズクラブ』といったら、石津謙介さんのVANが流行っていた頃ですか。

  • 山口

    そう、アイビー特集があって。で、アイビーにはいろんな用語があるじゃないですか。ボタンダウン・シャツとか、レジメンタル・タイとか、エンブレムとか、聞いたことのない言葉がいっぱい並んでいて。それを覚えていけば友だちに自慢できるだろうって。ちょうどヒッピー・ブームだったから、ワッペンやバッチをつけて。ぼくは埼玉だったから、たまに親に連れられて東京に行って買うとか。地元でも米軍のワッペンとかたまに入荷してくるんですけど、たいてい子供向けのやつで。そういうのはちょっと迫力がないなぁ、と思っていましたよ。

  • 津村

    ふつうだったらメンコやプラモデルに行くところが、ワッペンやバッチだったんですね。津村あと、ジーンズ。ストーン・ウォッシュの頃だから、自分で軽石でこすったりして。

  • 山口

    小学生でそれはすごいですね。

  • 津村

    いや、みんなしてましたよ。。

  • 山口

    アイビーというのは、アメリカの大学生のキャンパス・ファッションでしょう。その後、ヒッピーが来て、ヒッピーと同時におそらくグラム・ロックが来て。

  • 津村

    そう、音楽ではT.rexなんかも好きだったけど。中学生くらいになったらファッション的にはアイビーから...暴走族系に行くの。

  • 山口

    いきなり?どういう繋がりが(笑)

  • 津村

    そういう傾向があるんだよ、アイビーって。

  • 山口

    だって、暴走族ってツナギでしょう?

  • 津村

    ツナギもあるけど...。アイビーですごく細身のパンツにして、今みたいにローライズで履いてさ、上はぴたっとしたシャツを下ろして、頭はこう、クールカットというのか、GIカットというのか。GIファッションというのもあったでしょう。GIファッションでロックンロール。『アメリカン・グラフィティ』という映画があったけど、50'sのああいう世界。ロックンローラーだったんですよ。そういう流行でいたところに、清水健太郎の『失恋レストラン』が流行ったときに、清水健太郎スタイルが加わって、それをヨーロッパ系と言っていたわけ、なぜか。

  • 山口

    ヨーロッパ系(笑)その辺りから、イッセイさんたちデザイナーが目に入るようになったんです。そういえば、その頃って、ダウンタウン・ブギウギバンドがツナギを来て出てきた頃で。それを見たイッセイさんが「小夜子ちゃん、今度ツナギ作ろう」って。

  • 津村

    そう、イッセイさんもツナギを着てたじゃないですか。白いツナギでねじったベルトを巻いて、遊牧民風な大きなマントを羽織って。それを何かの雑誌で見たんですよ。イッセイさんと壇フミさんが喫茶店で対談しているところの風景だったかな。で、それを見て「この感じはカッコイイな」と思ったんです。デザイナーという種類の職業があるのか、と目覚めたんです。山本寛斎さんも当時、眉をそって坊主だったりして、ほら、変わってたじゃないですか。あ、絶対こっちだな、と。ロックンローラーも、もう卒業だな、と。

  • 山口

    それが高校生の頃?

  • 津村

    そう、中学から高校にかけての頃ですね。山本寛斎さんの『スーパー・ファッション』という本を買ったんですよ。それを読んで、こういう服がある、こうしてデザイナーになっていくんだ、というのを知って。あ、こんな面白いものなんだ、と。装苑賞に応募したのが、その第一歩でした。