第5章
その後のファッション

  • 山口

    『FINAL HOME』はコンセプトもさることながら、実際的な機能性を持ち、かつモードとしても成立しているのが、すばらしいなと思います。

  • 津村

    見た目や発想だけの面白さではなく、服として最低限の機能性は持たせるんです。この生地もアウトドア・メーカーのコールマンのものを使っていますし。アウトドア用品って、機能的で優れているのに、アウトドアでしか使われない、というのももったいないじゃないですか。だから、表層を変えて、別のシーンにも有効利用できないか、と思って。

  • 山口

    一見シンプルでありながら、ポケットに何を入れるか、着る人それぞれのアイデア次第で完成する、というところも面白いですね。

  • 津村

    確かに一見、ミニマムに見えるかもしれないけれど、ポケットの中にどんどんモノを入れていく、というのは過剰な、デコラティヴなものになると思うんです。

  • 山口

    その装飾のあり方がサバイバルに繋がるところが、今までの装飾を超えていると思います。

  • 津村

    この服は、機能的にバッグであったりもするんです。携帯するという意味において。いちばん最初の人類のバッグというのは、腰に巻いた一本の紐なんですって。その腰に巻いた紐に獲物を挟んで持ち歩いた。これが携帯する、ということの起こりみたいなもので。日本人も着物を着ていた頃は、懐に入れたり、袖に入れたり、服の隙間にものを挟んで携帯していましたよね。それと同じように、表地と裏地の間の隙間を利用した、隙間利用でもあるんですよ。

  • 山口

    たしかに、この服には今、新聞紙がくしゃっと丸めて入れてありますけど、お人形であったり、自分の好きなものを入れてもいいんですものね。

  • 津村

    家の内側である部屋の中には自分の好きなものをたくさん飾りますよね。それは自分ってこうなんですよ、と表現しているところがあると思うんです。その部屋をリバーシブルにひっくり返して、自分の好きなものはこうです、自分の内面はこうです、と見せる行為がファッションじゃないかと思うんです。極端に言えば、自分の好きなものが空中に浮遊している状態で、そのまま移動すればいいわけで。今は技術的にそれは無理だから、服で補おうと。

  • 山口

    いずれコンピュータが内蔵されたり、音楽が聴けるようになったりするんでしょうか。

  • 津村

    ありうるかもしれませんね。同時に、まったく逆の考え方もあって、人間のほうがもっとワイルドにプリミティヴになれば、機能的なプロテクトさえいらない。皮膚を強く鍛えれば、どこでも眠れたり。人間そのものはすぐにそんな進化は遂げられないだろうけれど、都市の機能がもっと室内のようになってしまえば、服にそんなプロテクトの機能はいらないかもしれない。今、すでに半分室内のようになっているじゃないですか。コートにしたって、ファッションとしては着るけれど、防寒としてヘビーなコートを着る人は少なくなった。そうして、家や服の概念も変化していくんだろうなと思いますね。

  • 山口

    リサイクルについても考えられていますよね。この『FINAL HOME』の服も返却可能だったり。

  • 津村

    そうそう。いらなくなったら返してくれてOKなんです。ファッションとして流通させても、みんな飽きるじゃないですか。そうしたら持ってきてくれ、と。ある程度の量を溜めたら、ボランティア団体に古着として渡そうかと思って。

  • 山口

    今まで何着返ってきました?

  • 津村

    2点(笑)。この服がリサイクル・システムに乗って、家を持たないホームレスにも着られているのが夢なんです。『ナショナル・ジオグラフィック』に広告じゃなく、リアルに出るのが夢なの。いつの間にか世界を巡っていって、「あれ?」と思って写真をよく見たら、写っている人が何気なく着てた、というのが最高の状態だな、と。どこの手をどういう風に伝わって、ここまで行ったのか、と。

  • 山口

    ロハス的ですね。もともとある用途がまた違う用途に変換できること部分を、素直にずっとやっていらっしゃるし。これからの世の中に必要なことを諦めないで続けられてきたこともすごいな、と思います。

  • 津村

    一時期こういうものを創るのが嫌になってしまった時期もあったんです。「またオレンジ色か」「やだなぁ、ナチュラルなファブリックのほうがいいな」と思ったときもありましたね。だって、毎回毎回、周りの人からも言われてしまうことだし。「またコレ?」みたいに。でも続けることで見えてくるものもある。

  • 山口

    言い続けたことで、すごく強いものが出ていると思います。これを着ることでも、別の世界が見えたり、別の問題が見えたり。

  • 津村

    デザイナーって直感的にものを作っていると思うんですよ。自分自身そうなんだけど。どんどん変化していく流行の中で、自分が創ったものを理論化せずに、次に走っていくような面があると思うんです。だけど、ぼくの場合は踏みとどまって、なんでこんなものを考えたんだろう、と、わりと長いスパンで考えることができる。『FINAL HOME』は10年近くになるプロジェクトだから、あ、これこういう意味があったのか、と創った当初はわからなくても後から発見できるところもあるんです。だから、もしかしたら、ちょっと遠くに飛べるかな、というのはありますね。

津村耕佑●KOSUKE TSUMURA
1983年に三宅デザイン事務所入社後、ファッション・デザインと同時に服の領域を超えたアート活動を展開。1994年に『KOUSUKE TSUMURA』を立ち上げ、パリ・コレクション、東京コレクションに参加、毎日ファッション大賞新人賞受賞。同時期に「都市生活者のためのサバイバル・ウェア」を基本コンセプトにした家を着る服『FINAL HOME』を展開。時代と社会を見つめ、ファッションとアートの境界を横断しながら、私たちのあり方を考えさせ、次にくるものを予感させる作品を作り続けている。2018年に、ファッションデザイナーという枠を超え、生活とクリエイションの結びつきについて考察する『賞味無限:アート以前ファッション以後』を上梓。武蔵野美術大学造形学部空間演出デザイン学科教授。文化服装学院ファッション工芸専門課程非常勤講師。

今、対談を振り返って

パリやロンドン、ベルリン ニューヨーク の都市で西欧人は格好良く見えます。
衣服を洋服と呼び都市の景観を欧米に習う日本で蒙古斑をもつ我々は世界にどう映っているのでしょうか、少なくとも生まれた土地は我々のステージであって欲しいものです。蒙古斑革命は小夜子さんの死によって道半ばで途絶えたかに見えましたが永遠に探し求めるアートだと感じました。

2019年7月
ファッションデザイナー
津村 耕佑