第2章
子供の頃の東京下町

山口
子供の頃はどういう遊びをされていたんですか。
鈴木
ベイゴマですよ。徒党のベイゴマ遊び。個じゃないんだよ、徒党を組むんだよね。ある町内で5、6人で組むわけ。それで他の町内に遠征しにいくんですよ。いちばん大変なのはベイゴマ作りなの。都電の線路のところに行って磨くわけですよ。売っているものは表面も底も丸いから、そこを磨いて、四角にしたり、八角にしたり、鋭がらしたりする。毎日、毎日、都電の線路で磨いていましたね。
山口
ベイゴマって鉄でできているんでしょうか。
鈴木
さあ、鉛かな、いろいろあるの。ベイゴマの上に銅を被せるのを工場に行ってやってもらったり。それから鋼鉄ベイというのがありましてね、これは鋼鉄でてきていて重い。いろんな種類があるんだよね。とにかく自分で作るんだよ。自分たちで細工をして、それで戦わせる。
山口
じゃあ毎日、ベイゴマ遊びを。
鈴木
そうですね。あと水戦雷艇ごっこというのかな。本艦は帽子をまっすぐに被り、駆逐艦は横っちょに、潜水艦は真後ろに被って。潜水艦は本艦に対して強く、でも駆逐艦にはやられちゃう、っていう追いかけっこをするわけ。そういうのをやっていたね。電信柱が港でね。夏はプールで水泳をしたり。あとは道路で野球もしたね。当時、今の代々木公園あたりが練兵場だったんですよ。そこが日曜日だけ兵隊さんがいなくなって解放するの。そこに方々から野球チームがきて、相手を見つけて試合をするんです。
山口
女の子と遊んだりは?
鈴木
しないしない。一緒に遊ぶってことはなかったね。話しかけるということもないし。だいたい一緒にいたら、「まんめんじん」と言われてからかわれる。でももう少し上になると、今度は女の子との交際が自由になる。女の子のところに遊びに行こうが、女の子が家に遊びに来ようが、親はぜんぜん気にしないの。下町だから。
山口
その頃の学校でイジメはありましたか。
鈴木
ないね。たとえばね、てんかんの子がいたら、みんなで送り迎えをして、発作を起こしたら担いで家に連れて行ったものね。からかったり、今のイジメなんてあり得なかった。
山口
助け合いが当たり前にあったんですね。
鈴木
下町だったからね。ざっくばらんで遠慮会釈がないというのかな。そんなに杓子定規に生きていたわけじゃない。もっと子供らしい付き合いをしていたんでしょうね。
山口
映画はいつ頃からご覧になり始めたんですか。
鈴木
小学校から。家が商売屋だったから、子供が家にいると邪魔なんだよ。だから親が「活動に行ってこい」と言うんだ。小学生だと緑館といって、子供向けの映画ばかりを上映するところがあったの。ポパイとか、シャーリー・テンプルとか、日本の講談を映画にした岩見重太郎、山中廉之助、猿飛佐助、三好清海、荒木又右衛門、児雷也とか。観ているのはほとんど小学生。
山口
そこで映画がいいな、と思われた...。
鈴木
いや、いいも悪いも(笑)。とにかく家にいちゃいけないから行くわけで。だから子供は映画なんて観ていない。その中で鬼ごっこをしたり、毬投げしたり、たいへんなものだったよ。
山口
歌舞伎などの舞台も観に行かれたのですか。
鈴木
近所に寿座というのがあって、そこにばあさんに連れてって貰った。市川新之助っていう歌舞伎役者がいるでしょう、そこでは新の字が薪の字の市川薪之助と言う役者がいたりするんだ。でも相当なものだよ。寿座が焼けたあとは、浅草の墨田劇場で常打ちをやっていたからね。
山口
剣劇というか、大衆演劇みたいな感じかしら。
鈴木
そいつは浅草の梅沢昇一座とか言った芝居で、寿座では正真正銘の歌舞伎芝居。木挽町の歌舞伎座にも行きましたよ。新橋演劇場とか、明治座とか、東劇とか。商売やっていると月に1回は必ずそういうところに行くからね。女どものご贔屓の第一は羽左衛門。
山口
楽しかったでしょう。
鈴木
いや、帰りが楽しいんだよ。円タクを拾うから。
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鈴木清順×山口小夜子