第5章
見えるもの、見えないもの

山口
さっきあの印象的な電気釜のシーンがじつはタイアップだと知って、私も笑ってしまったんですが...でも結局、あの時代を象徴しているし、意味がちゃんと生まれている。逸れているようで、実は言っている。そこがやはりすごいと思うんです。その前の戦争で白いご飯をお腹いっぱい食べたい、という人たちがいっぱいいた。あの殺し屋の青年がご飯の匂いをかいでエネルギッシュになってしまうーーそういうものに置き換えているのが深いな、と。狙ってそうしているのではないとは思うんですけれど、戦争に対する思いが清順さんの中にあって、それが出ているのではないかと思うんです。
鈴木
戦争に対するメッセージはないけれどもね。
山口
あからさまなメッセージとしてはないし、意図的に語ってもいないんだけれど、どこかそういうものが根底にあるように感じます。だから楽しいと思いながらも、身が引き締まるような思いで観ているんです。
鈴木
アメリカの戦争映画はいちばん嫌いだね。痛みを知らないね。負けた痛みを。
山口
戦争に負けて日本も変わってしまって、今、日本人であるアイデンティティってなんだろうと考えるんですが、清順さんはどう思われますか。
鈴木
それは言葉と文字ですよ。これを失ったら、もうダメだね。それが外国に今、犯されちゃっているじゃない。
山口
言葉ですね。大切にしないと。
鈴木
昔は下町言葉というのがありましたけれど、今はもうなくなっちゃったしね。商売屋の息子っていうのはね、親は何も言わないけれど、働く親の背中を観て親の苦労を知っているんだよね。恐慌が来たときにどんな苦労をしたか、とか。今はサラリーマンの子が多いから、そうすると親が苦労している姿が見えなくて、わからないんだよね。昔はイジメがなかったというのは、そういうことじゃないかな、と思うのね。
山口
食べるものでも、昔は魚だったら目の前で捌いてそれを食事として取り込むんだ、ということを自然に学んだんだと思うけれど、今はスーパーで切り身になっていますしね。本質的なことが、きれいなパッケージにくるまれて見えなくなっているというか。だからもう一度、作る過程や、本質が見える映画を、ぜひ撮ってください。楽しい映画で、でも見終わった後に何か心にひっかかるような。
鈴木
ご苦労さんですね。私はもう、いいんだよ(笑)。年寄りはね、一日ぼんやりしているのがいちばんいいね。幸せとか、そういうことさえ感じないで、ぼさーーっとね。朝起きて、朝になったな、と。そうして今日も一日、暮れるか、と。
山口
これから表現の世界を目指している若い人へのアドバイスがあったら、ぜひお願いします。
鈴木
結局、運がついていないとダメですね。だから運を呼ぶような人にならなくてはダメです。仕事のほうはなんとでもなるんだよ。最初のきっかけは運だから。
山口
運を呼び込むにはどうすればいいんでしょう。
鈴木
誰にでも運は来るんだよ。でも見過ごしちゃうんだよね。あとはその運を転がしてゆく能力を持っているか。運が来たとしても、運を使えるまでに育っていないと、結局は逃してしまうからね。
鈴木清順●SEIJUN SUZUKI
1923年東京日本橋生まれの下町育ち。学徒出陣し九死に一生を得て復員後、旧制弘前高校を卒業。東大受験に失敗するも48年に松竹大船撮影所助監督試験に合格し映画の道へ。日活に移籍し56年に『港の乾杯 勝利を我が手に』で監督デビュー、以後、専属監督として名を馳せ、映画史に残る名作を次々に発表。その先鋭的映像表現ゆえ会社と衝突することもあり『殺しの烙印』でついに解雇される。77年『悲愁物語』で映画界に復帰後、81年に『ツィゴイネルワイゼン』でベルリン国際映画祭審査員特別賞受賞、05年には『オペレッタ狸御殿』がカンヌ映画祭の特別上映作品として公式上映され、満場の喝采を浴びた。90年に紫綬褒章受章。そのケレン味たっぷりの大胆な構図と色彩に溢れたアヴァンギャルドな映像美は「清順美学」と呼ばれ、メジャーからカルト界までを魅了、世界の名だたる映画監督からもリスペクトされている。01年に公開された「ピストルオペラ」には山口小夜子が出演。2017年、93歳で死去。
鈴木清順×山口小夜子