第1章
4足の草鞋を履いた銀行員時代

  • 山口

    今、占っていただくときに基本的に名前と生年月日をお渡ししますが、どういう占いを中心にされているのでしょうか。

  • 鍋田

    今は姓名判断を中心に、それに付随して四柱推命や手相を見る、といった感じです。四柱推命は本来、生まれた時間や秒まで必要になってくるんですが、そこまで答えられる方はほとんどいませんから、現実的には厳密な四柱推命はできないので補助的に用い、当てはめてやっています。

  • 山口

    鍋田さんのことを最初に拝見したのは、確かTVの番組か何かだったと思うんです。名前が同じ画数の同じ誕生日である違う人に、果たして同じ話をするのか、という実験番組で。

  • 鍋田

    あれね。取材だと知らなくていつものように淡々と喋っていたんですが。向かいのビルから望遠レンズで覗いて、隠しカメラに隠しマイクで来て。終わったあとに「じつは取材だったんです」と言われて「ああ、そう」とその場は終わったんですけれど。

  • 山口

    確かまったく違う答えになっていて。その鍋田さんのコメントや絵を見て、この人すごい、思っていたんです。

  • 鍋田

    自分の中では、名前の画数と誕生日が同じ人には同じ話をするんじゃないかと思っていたんですよね。運勢学という学問の中でやっていますので。ところが後でビデオで見たら、言ってることがぜんぜん違っていて。「へえ、そうか」と。その場では名前を集中して見るんですが、見終わったら頭の中からの消去が早いので、その後は憶えていないんですよ。お客さんにも三つ子の三姉妹で、しかも親御さんが凝っていて名前は違うんだけれど画数が同じ、という方がいるんですよ。やっぱり「お姉さんが言われたことと、私が言われたことと、妹が言われたことはぜんぜん違う。でもその通りなの」っておっしゃいますね。

  • 山口

    今も渋谷の街角で占いをされていますが、何年になられるのですか。

  • 鍋田

    始めてからから15年くらいになります。

  • 山口

    もともと占い師を目指されていたんでしょうか。

  • 鍋田

    話を聞くと「占い師になりたい!」と考えて占い師になる方が多いらしいんですが、ぼく自身はまさか占い師になるとは思っていなくて。そのときそのとき、自分の中でやるべきことをしてきて、気づいていたらなっていた、というのが答えで、特別なりたいと望んでいたわけじゃないんです。

  • 山口

    占い師をされる前は何をされていたんですか。

  • 鍋田

    大学を卒業して20代のうちはサラリーマンですね。銀行員をやっていました。経済学部を卒業したので、周りも銀行関係に行くケースが多かったのもあり、親が銀行員だったのもあり。

  • 山口

    それがまたなぜ、占い師になられたのですか。

  • 鍋田

    話すと長くなるんですが……。

  • 山口

    ぜひ、お願いします。

  • 鍋田

    銀行って企業買収や経営学であるとか、いろんなことをどんどん教えてくれるんですよ。そうすると自分自身、いろんなものに興味が出てきて。ほんとうに20代後半は忙しかったですね。規定上はまずくて本来はバレるとクビなんですが、じつは画廊もやっていまして。画廊と、不動産と、喫茶店のオーナーだったんですよ。だから忙しくて。

  • 山口

    ぜんぶ違うジャンルですね。またどうしてそれぞれを仕事にしようとしたんですか。

  • 鍋田

    銀行の仕事はいろんな業種に首を突っ込むんです。そのおかげでいろんなご縁もでき、いろんなことに興味が出て、こうしたらこうなるんじゃないか、というのを納得したいがために手を出していたというか。それから日中はサラリーマンをやっていますので、その間、自分がいなくても回る仕事を、と考えたらこの3つになったんです。

  • 山口

    不動産もですか。

  • 鍋田

    不動産はいちばん片手間でした。不動産といっても、賃貸系ではないんですよ。売りたい人と買いたい人の話が両方入ってくるので、それを繋げれば仕事になるな、と。ただ、宅建の資格がないとジョイントできないんですが、これも銀行員時代に受けさせてくれたので持っていたんです。

  • 山口

    じゃあ、画廊もビジネスとして。

  • 鍋田

    画廊というと格好よく聞こえるかもしれないけれど、画廊って結構、固い商売で、新参者が入る隙はなかったりするんです。たまたま取引先に画廊が多かったこともあって、その内情を知ることもできましたし。

    いろんなやり方があると思うんですけれど、たとえばA、B,C、Dという画廊があるとするでしょう。その間で絵を回して、どこかで売れたときに利益を分けるというような業界ルールがある。だからぼく自身が画廊をやると言っても、絵を回してもらって置くだけ。必要なものはテーブルと電話1本。交際費もかからない。

    ただし新参者だし本腰入れてやっているわけではないから、売れたときの数パーセントの利益のうち、何割かを回してくれた画廊にあげるということで、絵を回してもらって。それもせいぜい20〜50万円のリトグラフ系で、近くのOLの方でも買えるようなものを回してもらえるようにお願いして。

    じつはこれ……すごく利益が出たんです。といってもぼくが頑張ったわけじゃなく、アルバイトの女の子が頑張ってくれたんですけれどもね。ぼく自身、日中はいないものだから、お金を抜かれたりいい加減なことをされてもわからないから、美大で将来、画廊をやりたい、というコを探してきたんです。そうしたらそのコが一生懸命やってくれて。絵の勉強はするし、次回のリストはきちんと作成してくれるし、交渉もしてくれれば、お客さんも作ってくれるし、ほんとうにがんばってくれて。

  • 山口

    喫茶店のほうは?

  • 鍋田

    お客さんの自社ビルの物件が住宅地の中の急な坂道の途中にありまして。スナックとかが入るんですけれど、新しい看板ができたなと思ったら、いつも半年ぐらいで潰れてしまうんです。それで困ったオーナーさんに「家賃5万でいいから借りてくれ、会社にもぜったい言わないから頼むからやってくれ」と言われて。シャッターを開けたら、カウンターや椅子、テーブルがみんな揃っているし、これはいいや、と借りることになったんです。

    でも喫茶店経営なんてやったことがないから途方に暮れてね。やはりお店を将来開きたい、というアルバイトを2人にお願いしたら、またほんとうに頑張ってくれて、お店が繁盛してきたんですよ。そのコたちのファンのお客さんができたり、時給2千円でお願いしていたのに高すぎるからさげてください、と言ってきたり。それですっかりまかせたら、繁盛してしまった。

  • 山口

    そうやってサラリーマンをしながら2足どころか4足の草牲を履いていたのは、何年くらい続いたんですか。

  • 鍋田

    それは2年くらいかな。当時は楽しかったですね。銀行が楽しいな、と思っていたのは人が好きだったんですよ、純粋に。