第5章
ほんとうの意味で自由に生きる

  • 山口

    順子さんはほんとうの意味で、自由に生きていると思う。

  • 浅野

    私にとっての自由というのは、自分が起きたいときに起きて、寝たいときに眠れて、絵を描きたいときに描けて、というような、なんかそういう小さなことなんです。自分がそうしたい、と思ったときにできる、という都合のいいことなの。でも、それはほんとうは手に入れるのが難しい自由なのかも知れないけれど、そういうふうにやってこれちゃってるんだよね。モデルとか表に出る人になりたいと思わない、というのも、そこで満足できてしまっているから。いざ、となったときに上手く生きてこれちゃって、誰かが助けてくれたり、別れた旦那さんまで助けてくれたり。それが私の取り柄といえば取り柄かな。

  • 山口

    いつも一生懸命に周りの人の面倒を見ているじゃない?お母さんの面倒もずっと見てこられたし、お孫さん、息子さん、ご主人、それから近くにいる人のことまで。そのエネルギーがすごいな、と思う。だから人が集まってくるし、いつも周りが明るい。

  • 浅野

    でも、面倒を見ているだけで、働いているわけじゃないし。下宿屋さんみたいだな、と。お金をもらって悪いから、ご飯くらい作ってあげるわよ、みたいな。そういうのが好きなだけ。

  • 山口

    このバーはやってらっしゃっていかがですか。

  • 浅野

    オープンして1年になるんですけど、近所の人間模様のドラマまで見せてもらっちゃって。なんか、みんな私の前だと気を許してしまうみたい。自分の家のように帰って来て飲んで寝てるのもいれば、なんかもう、ぐちゃぐちゃなのよ(笑)。いつも、儲からないぞ、と。

  • 山口

    順子さんは人を癒してしまうのよね。

  • 浅野

    だから恋人ができても、恋人同士でいられないの。お母さんになってしまうから。自分もそれでいいと思っているし。元主人はまったくお酒を飲まない人だったんだけど。たとえば相手がベロンベロンに酔っぱらってたら、靴下脱がせて、服を脱がせて、身体を拭いて、パジャマ着せて、ベッドまで連れて行って、寝かせるタイプだから。甘やかしちゃうのよね。でも、それで別れたあとに相手が「母親の面倒を見なくっちゃ」って気になるらしくて。面倒を見てくれるのよ。だから老後はこれかな、と。元恋人が何人いるか、という。今、パイナップル畑か、サトウキビ畑を持ってるおじさんがいないかしら、と思ってるんだけど(笑)。

インタビュー:2015年
構成:下田敦子
浅野順子●Junko Asano
70年代の横浜で、浅野久順、浅野忠信兄弟を産み育てる。妻として、母として、一人の女性として周りにいる多くの人々の面倒を見る一方で、その類い稀なセンスを生かし、フリーマーケットの主催や古着屋、バーも営んできた。現在、東京の目黒区駒場にラウンジ・バーを開き、優れた直感とオープン・マインドで来る人を楽しませ、癒している。

今、対談を振り返って

私が小夜子さんと知り合ったきっかけは、金上みはるさんから小夜子さんがスタイリングとプロデュースしたファッション誌のお仕事だったと思います。

同じ横浜出身ということもあって、お食事したり横浜のライブなんかに行くうちに高木由利子さんを紹介してくださって。由利子さんとも親しくさせていただくことになったかな。

10年という月日は色々な状況を変えるな!今は小夜子さんは月へ戻っていったし、由利子さんもやはり美しい自然に戻っていき、これからも素晴らしい作品を残されるのだろうな。

そのような日本を代表するお二人と蒙古斑革命のお仕事が出来た事は私の宝物ですね。