第3章
幹から枝葉を伸ばす様々な表現

  • 山口

    ペン画の妖艶なイラストレーションも昔から描かれていたのですか。

  • Vivienne

    イラストは高校の頃から描いていました。澁澤龍彦やオスカー・ワイルド、ユイスマンなどをよく読んでいました。そうした本の挿絵ーービアズレーのものであるとか、スタイル的には世紀末の様なものも入っていますね。

  • 山口

    アイラインの描き方にも確かにビアズレー的なものがあるような気がします。耽美系なんですね、その美の核にあるのは。

  • Vivienne

    イラストの見た目はビアズレーなど当時のものに似ておりますけれど、まったく違う点はそこにモデルとなる小説ーー物語がない、ということなのです。挿絵と共存した世紀末文学は120年くらい前のものです。その時代であったからこそ挿絵として成立していたと思うのです。今は物語がすごく成立しにくい時代だと思うのです。神話や歴史があやふやになって、そういう時代に挿絵というのは無理がある様に思います。写し取る物語が存在しないのに挿絵を描くというのは、困難ですし、異常です。しかし、私はビアズレーの後のモダニズム運動もポストモダニズムも、日本の浮世絵もアニメーションも知っています。私のような人間が描いている絵であるというのを逆に前向きに受け止めて、描き出したという考えがありますね。大きな物語はすでにないのですけれど、その物語のつじつま合わせを自分自身で、事後的に私自信がドラァグとして演じるというのでしょうか。要するにモデルが居ない風景を描いて、あとからそのモデルを自分自身で作ってしまう、演じてしまう。 静物画で言うならリンゴの絵を先に描いてそれに似たリンゴを自分で作っている感じかしら。予言的なものです。

  • 山口

    じゃあ、先にイラストレーションのイメージとなる核があって、その物語を完結させるために、ご自分でその世界を演じている、ということになるのですね。そうしたアートの分野のさまざまなものを吸収されて、建築家としてヴィヴィアン自身の体をモチーフに建築している、という感じかしら。

  • Vivienne

    よく色々なことをしていて、ほんとうは何をやりたいのですか」と聞かれますけれど、やりたいことはこれで完結しているのです。あとはその枝葉を伸ばすだけです。でも、色々なことをやりすぎちゃって自分でも整理しなくちゃいけないな、と思って個展をライフ・ワーク的に開催しているのです。全部で5回構成で。1回目がカツラ展(『WIG★WIG★WIG』)、2回目がイラスト展(『鏡★鏡』)、そして3回目が建築展。だいたいここまでやって整理して、次に映像展と最後にまとめの展覧会をやろうと思っているのです。

  • 山口

    面白いですね。

  • Vivienne

    基本的にへそ曲がりなので、そこに存在しないもの見られないものを展示したいと思ったのです。建築展といっても、図面や模型などの代用品がそこにあるだけだとそれは「建築」そもものではないのです。会場にほんとうに「建築」が存在するような、それは建築のセオリーだけでもいいのです。見えないのだけれども、読み解けるようなものができないかというのが基本にあります。カツラ展にしても家にはカツラが何百とあるのですけれど、面白いカツラ、きれいなカツラ、素敵なカツラを展示することは絶対にやりたくありませんでした。そうではなく、私にとってカツラというのは自分の肉体の延長であったり、私以上に私であるところが面白いところなのです。カツラは頭皮に毛がついたようなものです。疑似頭皮があって、カツラを脱ぐという行為と同時と展示空間を裏返して見せる。壁を裏から見る、という行為(=展示空間)をオーバーラップさせたいと思いました。展示場のRのついた壁面に並行してガラスの壁を立て、裏からカツラを吸盤で止めるようにしたのです。それは展示空間を裏返す、という意味です。イラスト展では3次元の立体のインスタレーションも同時に同じ壁に展示したのです。そのインスタレーションとは針を打った点と点を糸で結んだものなのです。そもそもドローイングとは線からできていて、線というのは点と点を結んでいった結果です。だから同じ会場に糸でできた3次元のインスタレーション彫刻作品と2次元のイラストレーション平面作品を同時に置いてみたのです。会場には見えない二枚の壁が同時に存在していたという展示でした。